宗教法人 時宗 西向山 光見寺

光見寺の歴史

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光見寺は久下田城内にあった寺で、久下田城址の一面に位置する。
時宗の寺で西向山(さいこうざん)阿弥陀院(あみだいん)と号し本尊は阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)。
寺伝によると、開山は明応元年(一四九二年・昭62現在~四九五年前)。
開基は珠禮阿(しゅれいあ)上人(しょうにん)俊光(しゅんこう)大和尚(おしょう)。二世は珠阿(しゅあ)上人秀道和尚。
― 現在は二十七世。

光見寺は、もとは時宗一向(いっこう)派に属し、近江(おうみの)国(くに)(滋賀県)八葉山(はちようざん)蓮華(れんげ)寺(本山)の末寺であったが、蓮華寺が浄土宗に改宗(昭和十八年頃)後も、光見寺は時宗(遊行派(ゆぎょうは) ― 本山は神奈川県藤沢市の清浄光(しょうじょうこう)寺~ 〝遊行寺″ともいう)にとどまった。
光見寺には、慶安二年(一六四九~三四〇年前)、三代将軍・徳川家光から五石の朱印地(①しゅいんち)が付与され、その朱印状写し②が保存されている ― 〝朱印地、朱印状″についての説明は後記参照 ―。

境内の薬師(やくし)堂(竪八尺・横四尺)は、元禄十一年(一六八九年~二九八年前)三月十二日に建立。
願主・長森吉兵衛、大工・冨田五左衛と棟(むね)札(ふだ)に明記されている。
堂の正面に〝国神″と書かれた額(がく)(木の板)がかかげられている。
薬師堂の本尊は薬師如来(丈(たけ)壹尺壹寸)。
右に日光菩薩丈七寸・左に月光菩薩丈五寸を配している。
昭和四十八年三月十日、本堂の阿弥陀如来の胎内から奉加帳(③ほうがちょう)(説明、後記)が発見され、十文(もん)・百文など金銭を奉納(ほうのう)した数多く(二百人ほど)の庶民(しょみん)の名(おかめ・おみの・五郎八・市兵衛…など)がしるされている。
この奉加帳の表紙には「宝永元年(一七〇四年・二八三年前)甲(きのえ)申(さる)六月吉日 大根田村 本願念西」と明記されている。
阿弥陀如来と奉加帳は、昭和五十一年六月二十八日、下館市の有形民俗文化財に指定されている。

光見寺は檀信徒各位の菩提寺愛護の浄財喜拾等により、昭和二十五年庫裡建設(建てかえ)、三十一年堂宇修理、四十四年―明治百年記念事業、堂宇整備(庫裡増改築)、五十四年本堂増改築、庫裡修理(本堂・間口・六間・奥行五間)等の事業を経て現在に至っている。
尚、昭和六十年二月、鈴木武雄氏の寄進により山門が建立された。

① 「朱印地」とは、江戸幕府が寺院に対して朱印状によって、その所有を確認された土地の朱印状面の石高、朱印高のこと。
② 「朱印状」とは、朱印で押した印のある将軍の公文書のこと。
③ 「奉加帳」(結縁交名帳)とは、仏像建立のために金品をつのった財物の目録や寄進者の氏名を記入した帳面のこと。

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