時宗の宗祖一遍上人は、その半生を日本全国に念仏をすすめて歩きました。(これを「遊行ゆぎょう」と言います。)
一遍の活動が記録されている「一遍聖絵」によると、弘安2年(1279年)秋、一遍は信濃善光寺を経て
佐久郡伴野(ともの)に赴き、付近の小田切の里の「或る武士の館」を訪れます。
そこで多くの信者たちと共に念仏しているうちに、突然一遍が踊りだし、一同これにならって踊りまわったのが
一遍の「踊り念仏」 の始まりされています。
「踊り念仏」の特徴は、集団で“とんだり跳ねたり”するという点にあり、参加者に恍惚感と自己解放を
もたらします。このような「踊り」と「念仏」を合一化し、心身の跳躍を通じて法悦を得るというのが、
一遍の踊り念仏の考え方でした。
一遍の踊り念仏は時衆の手によって全国に広められ、民衆の芸能となっていきます。
やがて「念仏踊り」や「風流踊り」の時代を経て、「盆踊り」がポピュラーになりますが、
今も古い形の「踊り念仏」を守る地域が全国に見られます。
踊り念仏
一遍の踊り念仏は弘安2年(1279年)、信濃国で始められもので、念仏を称えていると次第に興奮し、
手を振り、足をはねあげて踊りだしたものがその起源と言われています。
どんな人間でもありのままで救われるという喜びを踊りに表現したもので、民衆の間に爆発的に
広まりました。
時宗総本山遊行寺(神奈川県藤沢市)の踊り念仏は、昭和50年に信州跡部(あとべ)に伝えられている
踊り念仏を継承したものです。かつては遊行寺においても信徒の皆さんによる踊り念仏が伝えられていました。
ところが関東大震災によって途絶えてしまいましたが、遊行寺の踊り念仏が跡部の踊り念仏と
まったく同様な踊りであると確証を得たので、それならばということで復活され、踊り念仏保存会によって
今日まで伝えられてきました。
盆踊りの歴史
日本人には身近な盆踊りですが、その歴史はあまりよく分かっていません。
その遠い起源は、平安時代の念仏芸能にあると考えられています。“集団で繰り返し踊る”という
視点から見ると、比叡山の「常行念仏」(じょうぎょうねんぶつ)が、一つの源流であると考えられます。
これは、僧たちが念仏を称えながら阿弥陀仏の周囲をぐるぐる行道(ぎょうどう)してまわるという
修行の一種でした。
この念仏を、はじめて京都の民衆の間に持ち込んだとされるのが「空也上人」で、空也上人の始めた
踊り念仏は、鎌倉時代には一遍上人に引き継がれます。一遍と時衆は全国を遊行して踊り念仏を
普及させ、これが後の盆踊りの原型になったと言われています。
室町時代には、庶民の間にも「お盆」が普及します。お盆には、みんなが一斉に休んで先祖の
もてなしをするため、たくさんの踊り手や行事参加者を確保することができたことも、盆踊り発展の
要素になったと考えられます。
ところで、室町時代の人々は死者の供養の際に「行列」を組んで送るようになりました。この「行列」の
スタイルをもとに発展したのが、中世の「風流」(ふりゅう)の諸芸能です。
例えば盆踊りの前身とも言える「念仏風流」は、華やかな行列で死者を供養するものです。
お盆の夜、村の人々が行列して有力者の家や新盆の家、特定の踊り場などを訪問し、青年たちの
ダイナミックな踊りによる供養の後で、老若男女が輪になって楽しい手踊りを踊りました。
この手踊りが、後の輪踊り型の盆踊りの原型であり、行列は行列型の盆踊り(阿波踊りなど)の
原型と考えられるのです。「盆踊り」という名称が登場したのも、室町時代末期のことです。
江戸時代以降になると、もともと盆踊りが持っていた宗教性は次第に弱まっていきます。
かわって時の流行歌(小唄や口説き)を取り入れるなど娯楽の要素が強まり、盆踊りは誰でも
参加できる楽しい夏の行事として、日本人に最も親しまれる芸能となりました。
近年は他のレジャーに押され気味の盆踊りですが、もう一度その原点に立ちかえって、魅力の
再発見をしたいものです。