一遍上人は延応元年(1239年)2月15日、四国は愛媛県の道後の豪族河野家に生まれました。
松山市の宝厳寺は生誕の由緒地になっています。
10歳で母を亡くし、父の命で出家し、法然上人の孫弟子に当たる九州の聖達(しょうたつ)上人から
浄土の教えを学ぶこと12年。
のちに善光寺に参り、念仏一筋のほかに自分の道がないことを悟ります。
それから故郷の窪寺(くぼでら)や岩屋寺(いわやじ)にこもって、念仏三昧(ねんぶつざんまい)の
生活を送り、ゆるぎない信仰を確立します。
それから、この教えをすべての人々に広めようという念願をおこし、全国遊行(ゆぎょう)の旅に
出るのです。
信州・佐久では踊り念仏を始め、16年間に、ほとんど日本国中を歩かれました。
一遍上人は、正応2年(1289年)8月23日、神戸の観音堂(現・真光寺)で51歳の生涯を閉じられました。
今もそこにお墓があります。
その伝記は国宝『一遍聖絵(ひじりえ)』(藤沢・清浄光寺蔵)に詳しく、またその教えは『一遍上人語録』
としてまとめられています。

※一遍上人がお生まれになられたのは、くしくもお釈迦様の命日の2月15日です。
  日本の宗祖・名僧の中でも、一遍上人ほどお釈迦様に近い生き方をなされた方はおりません。
  まさに一遍上人はお釈迦様の生まれ変わり、再来というべきでしょう。

御賦算(ごふさん)(お札くばり)
遊行上人が巡り歩かれるところ、必ず御賦算なさいます。わかりやすく言えば、「お札くばり」のことです。
賦(ふ)は「くばる」、算(さん)は「ふだ」のことです。
このお念仏のお札(おふだ)は、遊行上人の手から集まった人々に一枚づつ配られます。
宗祖一遍上人は、生涯に25万1千余人に配られたと記録されています。
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とお念仏を称えれば、阿弥陀仏(あみだぶつ)の本願の舟に乗じて
極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)できるとの安心(あんじん)のお札なのです。
「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と刷り込まれていますが、「決定往生(けつじょうおうじょう)六十万人」とは、
六十万人の人々にお札を配ることを願われ、また次の六十万人の人々に、ついにはすべての人々
(一切衆生いっさいしゅじょう)に配ることを念願されたのです。
遊行・賦算・踊り念仏は、今日では時宗独特の行儀となっています。