仏教の開祖、お釈迦様がお生まれになられた約二千五百年前のインドは、コーサラ国とマガタ国などをはじめとして
いくつかの部族国家に分かれていました。
この二つの王国にはさまれたヒマラヤ山のふもとにカピラという釈迦族の小さな王国がありました。この国の王様は
スッドーダナといい、王妃をマーヤ夫人といいました。
伝説によるとマーヤ夫人が身ごもり、お里帰りの途中、ルンビニーという花園で休まれていた時、お釈迦様を
お生みになられたといわれています。
王子はシッダルタと名付けられました。これは「願いが満たされた者」という意味で、一般に私たちがお釈迦様と
いうのは、部族の名称をそのまま使っているのです。
また「真理を悟った人」という意味で仏陀(ブッダ)という読み方でも知られています。
王子をお生みになったマーヤ夫人は、まもなくお亡くなりになられたため、王子は夫人の妹にあたる
マハー・プラジャーパティに育てられました。
母親のいないことを心配した王様は、何不自由のない、はなやかな王宮での生活によって、王子の心を
楽しませようとしました。
しかし、王子はこうした物質的快楽では心が満たされず、王宮のはなやかな生活よりも、もの静かに思いを
めぐらすことを好むようになりました。
王子シッダルタは、ある時、王宮の東西南北、四つの門から郊外に遊びに出られて、それぞれ老人・病人
死人・出家者をまのあたりにし、人生の真実に触れ、深く心に感じるところがありました。そして、
「人間はなぜ生まれてきたのだろう」
「なぜ病気になり、死を迎えなければならないのだろう」
「なんのために生きているんだろう」
「なぜ、悲しいことや、苦しいことがあるんだろう」
とこうした疑問をいつも抱くようになりました。
そして、29歳の時、こうした問題を解くために妻子や一族を捨てて出家し、難行、苦行を重ねました。
しかし、6年にもおよぶ激しい修行をしましたが、その答えを見つけることができませんでした。
どんなことでも、かたよりすぎた行いからは、本当の幸せは得られない。
シッダルタは、今までの苦行をやめ、ネイランジャナー河で体を洗い清めました。
苦行のためにすっかりやつれはてたシッダルタは、やっとの思いで岸に上がりました。
そんなシッダルタのもとに、村の娘のスジャータが近づいてきて、乳がゆを差しのべたのです。
今まで断食という、食事をとらない修行をしてきたシッダルタは、ふるえる手で受けとり、ゆっくりとのどに
通しました。
その様子を遠くから見ていた5人の修行者たちは、「シッダルタは自分に負けた脱落者だ」と思い、失望して
他の修行者たちが集まっている所に行ってしまいました。
体力を少しずつ回復したシッダルタは「自分の体を痛めつけても、何も得られなかった」と思い、静かに
菩提樹の下で坐禅を始めました。
すると突然、空は暗くなり、突風がおそいかかってきたのです。
シッダルタの修行を邪魔してやろうと悪魔たちが現れたのです。
もし、シッダルタが本当の答えを見つけ、人々に話そうものなら、世の中から悪い人がいなくなってしまい、
悪魔たちの出番がなくなってしまうからです。
悪魔たちは、いろいろな方法で、シッダルタの修行を妨害しようとしました。
この悪魔とは、快楽、不平不満、飢え、むさぼり、なまける心、恐怖心、疑い、虚栄心、名誉欲、傲慢な心など、
私たちが日頃経験する迷いの心ともいうべきでしょう。
でも、自分の幸せのことよりも、多くの悩める人々のために、その解決の方法を見つけようとの決意に、
とうとう悪魔たちは負けてしまいました。
この世の中を深く観察していくと、ある法則があったのです。
この世のすべてのものは、いつも動いていて、止まっているものは何一つとしてなく、それらがお互いに
関係しあい、支えあいながら存在しているという法則でした。
でも、私たちは自分に都合のいいことばかり考えています。それがかなわないために、私たちの悩み苦しみが
あるのです。
シッダルタは、さらに観察を続けました。
そして、35歳の12月8日の明けの明星が輝く頃、様々な迷いと不安が波の静まるように消え去り、喜びと
感謝が全身をかけめぐりました。
ついに王子は「真理」に目覚め、人生の根本的な悩みから解放され、ブッダ(お釈迦様)となられたのです。
これを「成道(じょうどう)」といい、それをお祝いするのが「成道会(じょうどうえ)」です。
その後、お釈迦様はインド中を歩かれ、45年もの長い間、悩める人々にその教えを広められました。
お釈迦様は、「すべてのものはうつろいゆく(諸行無常)。自らを拠り所とし、私の教え(法)を師として、
怠ることなく修行せよ」という言葉を残し、2月15日の夜、80歳の生涯を閉じられました。